■農耕社会や大量生産時代に合致した評価方式
日本は元来、100点満点を目標に減点していくマイナス方式の評価の文化だと思う。農耕社会では、刈り入れまでに期間を要するので失敗は許されなかった。一年がすぎて収穫が”0”では、その社会の人々は飢え死にしてしまう。
戦後、欧米に追いつけ追い越せで技術を学び、生産を改善し、品質とコストの両立を日本のメーカーは達成してきた。その頃は、ひとつの巨大な市場に向け、少数の品種を大量に生産・販売することが命題だった。製品の開発と生産ラインにミスは許されない。在庫を大量に抱えたり、リコールの憂き目にあったりするからだ。完璧な目標の遂行を100点とし、そこからの減点評価の方が仕事の高い達成度が得られる。やはりマイナス方式の評価が有効な場面だ。
■時代は失敗に鷹揚さを求めている
では現代はどうか。市場はモノからコトなどの情報に替わり、その入れ替わりは早く、ニーズの細分化で個々のマーケットサイズは小さくなってしまった。ニーズに応えるよりもニーズを作るぐらいの積極性と開発力、提案力、そしてスピードが求められる。
そんな場面で「失敗は許されない。必ず結果を出すように」と、前提を掲げられたらどうだろう。大胆な方針を避け、過去の成功事例や二番煎じ、あるいは付加価値と称した安易な機能の盛り付けに頼らざるをえなくなる。そしてまた、そのプロセスの正しさ、想定される成功のエビデンス(根拠)を経営側に説明するために、開発者は四苦八苦するだろう。それが現代の日本の会社の多くだ。
その一方で、アジアの国々はもっと大胆である。もともと模倣製品などが市中に多かった背景もあるのかもしれない。チャンスとあればすぐに飛びつき、渡る前に石橋はたたかない。採算が合わなければすぐに撤退。消費者のことを考えれば、すべてを是認するわけにはいかないが、この精神はいまのグローバルな競争を前提としたビジネス環境には適している。
日本人が農耕民族ならば、同じ農耕が基盤の国であっても、精神は狩猟民族とでも言えばいいのか。狩猟は、数多くの失敗をして経験を積み、それを活かして技術を高めていく。どんなにベテランの狩猟者でも獲物を仕留めた数よりも逃がした数のほうが多いはずだ。失敗が当たり前で、成功すれば獲物にありつける。現在の失敗よりも明日につながる行動や経験を0点から加算するプラス方式の評価にならざるを得ないのだ。
そして世界のビジネスは、狩猟民族的な価値観が優位になりつつあると言えるのかもしれない。「どこに可能性があるかわからない未知のチャンスを探す」のが現在のビジネスならば、探しそこね、育てそこねは茶飯事になるはずだ。繰り返すが「よし自動車だ! コンピューターだ!」と大きなマーケットを目指せる時代ではなくなった。ときにはヤブを突いて蛇を出すぐらいの勇気が必要なのである。
■社会そのものがプラス方式の評価へ
日本の社会もプラス方式の評価に変らないと、革新的な発明も強さで海外の他社を圧倒するようなビジネスも生まれないだろう。過去の資産を食いつぶし、日本はいつかは倒れてしまう。目に見える危機は対処も早まるが、カエルのかまゆでのように水からぬるま湯になるような緩やかな変化には行動が遅れるものだ。資産を食いつぶしているいまの日本は、それと同じ過程にある。
この問題を解決するには、企業の評価方式の変革もそうだが、家庭や学校が子供に対するプラス方式の評価を全面的に取り入れなければならない。
日本の子供は世界の子供に比べ、自己肯定感が弱いという調査結果が出ている(下グラフ)。10代も含めた若者だけの調査だが、おそらくどの会社の若い社員、それのみならず中堅クラスの社員も含め、自分自身への満足度は低いだろう。ライバルである他の国の社員たちの方が自信に満ちているはずだ。
テストで80点以上が当たり前で、達成してほめられるよりも未達の部分をマイナス評価される。「目の前の課題のクリア」が優先で、「できて当たり前」なので”ほめる”という意識と習慣が日本の学校や親には希薄である。ほめられた経験の少ない子供は自尊心が育たないと言われている(そもそも、この「自尊心」や「プライド」という言葉は日本ではマイナスイメージだ)。
よく心理関係の本などに「他人と比較して自己の評価をしてはいけない」と書かれている。換言すれば、それだけ人は他人の評価に頼っているのだ。親や教師、上司のマイナス評価はマイナス情報としてその人にインプットされてしまう。そこに自発的なやる気や挑戦意欲が生まれるとは思えない。より困難さをともなうイノベーションなどに取り組む気持ちは、なおさら芽生えないだろう。
家庭や学校を含んだ社会を変えるとなると、大きなエネルギーと時間を要する。
まず手始めに、あなたの会社の企画会議からプラス方式の評価にしてみてはいかがだろうか。
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